レッド・パージ

レッド パージ
出典: Web版尼崎地域史事典『apedia』

  朝鮮戦争後、政府や企業で行なわれた共産党員およびその支持者たちに対する一方的追放措置。1950年(昭和25)5月3日、連合国司令官ダグラス・マッカーサーは共産党を非難、その非合法化を示唆し、同年6月6日吉田茂首相宛書簡で共産党中央委員24人、翌7日には『アカハタ』編集部員17人の追放を指令した。さらに、朝鮮戦争勃発の翌6月26日、マッカーサーは『アカハタ』を30日間の発行停止処分にするとともに対象を拡大、7月28日からは新聞・通信・放送機関からの共産党員排除が行なわれ、さらに民間企業、政府機関にまで拡大された。尼崎では、1949年11月の4人の教員パージにはじまって、1年のうち200人近くを数えた。全国的には、年末までに1万数千人の共産党員とその支持者が追放された。以後、労働運動の分野では共産党の勢力が後退し、民同派の力が強まった。

執筆者: 福永文夫

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