三ツ又井

みつまたゆ
三俣井より転送)
出典: Web版尼崎地域史事典『apedia』

  田能ほか6か村の三ツ又井組が利用する猪名川水系の用水路。藻川との分流地点より下流、猪名川右岸の田能村地先に取樋口を設けていた。井溝は東・中・西溝の3筋に分かれていた。1619年(元和5)に穴太村が下食満村悪水引き取りについて差し入れた証文があり、1706年(宝永3)下食満村と穴太村以下3か村の争いの時にこの証文のことに触れていることから、17世紀はじめには井溝が通じていたと推定される。ただし、本格的な取樋が築造されていたかどうかは不明。ほかに酒井村(現伊丹市)地内を通っている田能村内井と、1636年(寛永13)の大井組との水論裁許絵図に記された森本村(現伊丹市)地先の河原にある湧水も支配していた。

執筆者: 山下幸子

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