兵庫県立伊丹中学校

ひょうごけんりついたみちゅうがっこう
出典: Web版尼崎地域史事典『apedia』

  1883年(明治16)の開校をめざして設立準備がすすめられた川辺郡立中学校が陽の目も見ずに消滅したあと、1886年の中学校令(勅令第15号)による県に一つの尋常中学校が姫路に設立された。その各府県に一校の制限が解かれ、神戸・豊岡・柏原・龍野の各中学校に次いで、県下第6番目の県立伊丹中学校が設立されたのは1902年、場所は伊丹町字堀越であった。

  最初の入学生は272名の応募者から選ばれた80名であった。当時の入学資格は高等小学2年修了(尋常小学校は当時は4年制であった)であったが、規定通り2年修了で入学できたには10名にすぎなかった。その難関を突破した80名も、5年後の卒業時には26名に減じていた。当時の中学校は入学も卒業もきわめて難しいエリート校であった。現在の県立伊丹高等学校である。

執筆者: 宮川秀一

参考文献

  • 『伊丹市史』第3巻 1972
  • 『新・伊丹史話』 1994
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