兵庫県立伊丹高等女学校

ひょうごけんりついたみこうとうじょがっこう
出典: Web版尼崎地域史事典『apedia』

  1889年(明治32)公布の高等女学校令が府県に一校の設置を命じたうえに、郡市町村による設置をも認めたことから高等女学校設立が急増した。伊丹にも郡立高等女学校をとの願いは10年後の1909年郡会で満場一致可決されながら陽の目を見ず、1920年(大正9)伊丹町から敷地と建築費の寄附を受けて具体化することとなる。翌1921年8月、川辺郡公会堂を校舎に、50名の新入生徒を迎えて川辺郡立高等女学校が発足した。

  1923年郡制廃止にともなって、県営移管のための校舎・設備の改善をほどこしたうえで県に寄附し、県立伊丹高等女学校として再発足した。場所は伊丹町から寄附を受けた字行基田であった。

  戦後の学制改革で県立伊丹中学校と合併し、県立伊丹高等学校となった。

執筆者: 宮川秀一

参考文献

  • 『伊丹市史』第3巻 1972
  • 『新・伊丹史話』 1994
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