分郡守護

ぶんぐんしゅご
出典: Web版尼崎地域史事典『apedia』

  室町幕府の地方機関である守護制度の特殊形態。分郡とは守護大名が幕府から配分された支配地域をさす分国に対応する語で、一般には国単位に付与される行政範囲(管轄地域)が特殊な事情により郡単位に付与された場合、その郡を分郡と呼び、分郡の支配者を分郡守護と呼ぶ。分郡守護の権限は、荘園領主の年貢収取権等とは全く性格を異にし、段銭・守護役や軍役の徴発などいわゆる守護権と同じものである。分郡設定の事例は全国にまたがり、時期も南北朝から戦国に及ぶが、最も多数の分郡が設置され、かつ制度として永く維持された国が摂津で、康暦政変で没落した細川頼元が1383年(永徳3)守護に復帰した時は、西成・東成・住吉・有馬の4郡と河辺郡の北半が分郡として隣国守護に割き与えられている。このように幕府は守護大名への牽制手段として意図的に分郡を設定し、他の大名に付与することによってその国の守護の強大化を阻止しようとした。

執筆者: 今谷明

参考文献

  • 佐藤進一『室町幕府守護制度の研究』上 1967 東京大学出版会
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