加茂遺跡

かもいせき
出典: Web版尼崎地域史事典『apedia』

  川西市加茂1・2丁目と南花屋敷2・3丁目の地域、鴨神社が北辺を占めている標高約44mの洪積台地上にある。学界で注目され出したのは、遺跡のすぐ東側崖下(栄根字井坂、現加茂1丁目)から1911年(明治44)に袈裟襷文〔けさだすきもん〕の銅鐸が出土したからである。遺跡は縄文時代後期から平安時代初期までの複合遺跡である。縄文時代の遺構・遺物は少なく、出土土器の量と様式からは弥生時代中期にもっとも繁栄したものと考えられる。この時期のものには、住居跡・方形周溝墓・土杭墓・壺棺・石器原材集積地区などが有る。弥生後期になるとそれらは減少していく。古墳時代の住居地区は台地状の東部と西部で検出されている。遺物も散布状態からみて数カ所に散在しているようである。奈良・平安時代の遺構は土杭・溝・掘立柱の建物1棟の検出だけである。このように、弥生中期に栄えた遺跡も後期には衰退する。

執筆者: 亥野彊

参考文献

  • 末永雅雄他『摂津加茂』 1968 関西大学
  • 川西市史『かわにし』第4巻 1976

関連項目

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