多田銀銅山

ただぎんどうざん
出典: Web版尼崎地域史事典『apedia』

  この地の採銅の歴史は史料的には平安時代1037年(長暦元)にさかのぼるが、山下吹といわれる南蛮渡来の採銅技術の導入によって織豊時代に最初の盛期を迎えた。銀山町瓢箪間歩〔ひょうたんまぶ〕・台所間歩・千石間歩を中心とした。その後銀銅を製錬する南蛮吹きの導入によって、明暦寛文期(1655~1673)に最盛期に達した。このため幕府は1661年(寛文元)に中村杢右衛門之重を奉行兼代官として銀山町に赴任させ、川辺・能勢・豊島〔てしま〕郡、東西・南北十数kmにわたる鉱区69か村と製錬用木炭を産する4か村を幕府領銀山付村と定めて直接支配した。しかしまもなく生産は減じ、1682年(天和2)奉行の駐在をやめ幕府による直山制を山師による請山制に戻した。近代にも稼行は続いたが、1973年(昭和48)閉山した。

執筆者: 八木哲浩

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