大塚茂十郎

おおつかもじゅうろう
大塚醤油より転送)
出典: Web版尼崎地域史事典『apedia』

  1869年(明治2)1月 - ?

  旧尼崎町の大物町醤油醸造業者。創業は1690年(元禄3)とも1801年(享和元)とも伝えられるがあきらかでない。1872年(明治5)兵庫県庁から川辺郡醤油造行事に任命された当時には年産500石程度であったが、1888年には3,000石に増加し、低温・低塩仕込みにより濃厚・甘口の独特の味と香りのする、尼崎特産の生揚醤油製造の中心となった。1890年先代の死亡のあと事業の拡張につとめ、1916年(大正5)には5工場で年産1万5,000石に達し「京印醤油」の名で知られ海外にも輸出した。また1889年には本咲利一郎らとともに尼崎銀行尼崎紡績の創立に参加し、1895年には尼崎貯蓄銀行1896年には尼崎挽材株式会社を創立した(後者は10年後解散)。1911年の川辺郡長の資産者調によると第1位20万円の本咲利一郎・川口平三郎らにつづき13万円で第4位であった。こうして尼崎の有力な実業家となったが、それを背景として政界にも進出した。1889年4月の第1回町会議員選挙には一級議員として当選、このときは町会の東町・西町両派の対立のなかで6月辞職したが、1895年二級議員として再選、1900年川辺郡会議員、1902年尼崎商工会会頭、1907年町会議員のあと、1916年第1回市会議員選挙に一級議員として当選、同年の市長選挙の第1回投票では当選した桜井忠剛についで第2位となった。同じ醤油製造業の大塚萬次郎は義兄。

執筆者: 山崎隆三

参考文献

  • 富田重義・前川佐雄『尼崎市現勢史』 1916 土井源友堂