守護・守護代

しゅご しゅごだい
出典: Web版尼崎地域史事典『apedia』

  室町時代の守護は、三管領・四職とよばれた細川・斯波・畠山・山名・一色・京極・赤松らの諸氏が補任されることが多く、摂津本郡守護は細川氏の独占する所となった。摂津本郡守護細川氏は、管領・右京大夫を歴任する者が多く、京兆家と呼ばれた室町幕府最有力の大名であった。室町時代の摂津本郡守護には、細川頼元・満元・持元・持之・勝元・政元・澄元・澄之・高国・稙国・晴元・氏綱・昭元らの名が見られる。したがって守護代も細川京兆家の有力被官(内衆)から補任されることが多かった。守護代歴代には、長塩大郎次郎・奈良又四郎・庄十郎三郎・内藤弾正左衛門尉・長塩備前入道・長塩弥次郎・奈良元俊・十河宗善・長塩宗永・香西之長・寺町石見入道・秋葉元明・薬師寺元長・香西元忠・薬師寺長忠・薬師寺国長・三好長慶らの名が見られる。守護細川家の抗争が尼崎地域を巻き込んだ事例として、享禄年間(1528~1532)の合戦がある。1530年(享禄3)8月、細川高国らの攻撃に備えて、細川晴元の部将薬師寺国盛が富松城に拠ったが、富松城が落城し、国盛は大物〔だいもつ〕城に入った。大物城も高国方の手に落ちたが、1531年6月、細川高国は晴元方との合戦に敗れ、尼崎市街に逃げ込み、ついに捕えられ殺害されている。

執筆者: 森田恭二

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