守部荘

もりべのしょう
出典: Web版尼崎地域史事典『apedia』

  平安時代からあった荘園。森部とも書く。平安時代の1180年(治承4)、福原に行く途中、河尻に着いた中山忠親(藤原忠親)ら一行が守部荘(預所は美作権守雅長入道)へ向かった記録がある(山槐記)。鎌倉時代の1200年(正治2)5月の官宣旨案では、広田社領の守部田畠は摂津国衙が介入できない土地としている。同輩が西宮広田社の支配下にあったこと、領主を源邦長としていることから、雅長入道と共通の「長」という一字を名前に持つ同じ家柄に伝領されていると推定できる。荘域は江戸時代の守部村付近。

執筆者: 田中勇

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