安倉高塚古墳

あくらたかつかこふん
出典: Web版尼崎地域史事典『apedia』

  宝塚市安倉南2丁目にあり、武庫川東岸にあたる洪積台地面の西端に立地する4世紀代の円墳で、直径16.5m高さ2.5m。宝塚市指定史跡。1937年(昭和12)道路工事で墳丘の南半分を削られた際、竪穴〔たてあな〕式石室が発見され、中から赤烏〔せきう〕七年鏡・内行花文鏡〔ないこうかもんきょう〕・碧玉〔へきぎょく〕製管玉・ガラス製小玉が出土した。また墳丘からも鉄製の刀、矛・鉇〔やりがんな〕・鍬などの破片と葺石〔ふきいし〕・円筒埴輪〔はにわ〕が出土している。竪穴式石室は主軸を北東から南西の方向とし、元の長さ6.3mほどで、現存の高さ60cm、幅75cmで、壁に河原石を用いている。鏡の銘文にあった□烏七年は、中国の三国時代の呉の年号赤烏にあたり、西暦244年である。十年(247年)とも読める。銘文を復元すると「赤烏七年太歳在丙午、昭如日中、造作明竟、百幽漳、服者富貴、長楽未央、子孫番昌、可以昭明、…」となる。これらの遺物は、1978年(昭和53)兵庫県立歴史博物館の開館時に、発見者塚本弥右衛門から同館へ寄託された。

執筆者: 橋本久

参考文献

  • 『宝塚市史』第4巻 1977
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