安宅冬康

あたぎふゆやす
出典: Web版尼崎地域史事典『apedia』

  1526年(大永6) - 1564年(永禄7)5月9日

  戦国時代の武将。三好長慶の弟。鴨冬とも。官途は摂津守。安宅氏は淡路水軍の名家で、長慶がその名跡を継がせ、以後淡路一国の支配を任された。1546年(天文15)長慶の要請により畿内に出兵し、翌年の摂津舎利寺(現大阪市生野区)の戦いではめざましい功績をあげた。1554年11月には明石表へ渡海して明石・三木城攻めに参加している。1558年(永禄元)8月にも水軍を率いて尼崎に上陸し、将軍義輝を牽制している。この時、本興寺門前に禁制を掲げた。能書家で歌人としても秀で、長慶に鈴虫を贈ってその傲慢〔ごうまん〕をさとすなど、仁慈・温和な性格から人望があった。しかし長慶は死ぬ2か月前、松永久秀の讒訴によって冬康を処刑した。

執筆者: 今谷明

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