尼崎城本丸

あまがさきじょうほんまる
出典: Web版尼崎地域史事典『apedia』

  本丸は、城内でも中心を占め、城主が住み、藩政をつかさどる庁所として重要な部分であった。「尼崎城惣郭楼石垣間数并城下町家数」(尼崎市教育委員会所蔵/『尼崎市史』第5巻)の冒頭に「御本丸東西六拾三間半南北六拾三間半」とあるように方形をなし、北東隅に四重天守、他の三隅に三重櫓(南東隅は武具櫓、南西隅は伏見櫓、北西隅は塩噌櫓)を配し、これらの周囲は長大な渡櫓(多門櫓・多聞櫓)で連結して固めた。古図「尼崎城本丸」(同前所蔵)では東側の南半は土塀とされるが、「分間城図絵図」(桜井神社文書)に此場所渡櫓跡とあり、かつて存在したことが知られる。本丸御殿は1846年(弘化3)正月28日に焼失し、同年7月より再建を始め、翌1847年正月28日に上棟式を執行、同年6月28日に移徙(いし、わたまし)がなされた。

執筆者: 松岡利郎

参考文献

  • 櫻井敏雄・松岡利郎「古図にみる尼崎本丸御殿」『地域史研究』第3巻第1号 1973
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