尼崎訓盲院

あまがさきくんもういん
出典: Web版尼崎地域史事典『apedia』

  1912年(大正元)創設された私立尼崎鍼灸学館が、1919年に校名改称して尼崎訓盲院となる。初代院長は中馬興丸。創立当時職員5人、修業年限は6か月で、生徒数30~40人。教科は解剖・病理・看護などの専門教科が中心。市内はもとより西宮・宝塚・伊丹・大阪北西部(三国・豊中)から生徒は通学。昭和になって約2万円の寄付金で、木造2階建てを新築(南城内、現博愛幼稚園南側)。必要経費は宮内省から内帑〔ど〕金(天皇の手もと金)が下付されたが、院長の私財支出によって堅実・円滑な運営が行なわれた。しかし第2次世界大戦の進展とともに本土空襲の危機にさらされ1944年(昭和19)止むなく閉鎖。その施設を市に寄付。

執筆者: 末方鐵郎

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