市田政次

いちだまさじ
出典: Web版尼崎地域史事典『apedia』

  1896年(明治29)2月3日 - 1976年(昭和51)1月20日

  兵庫県印南郡阿弥陀村(現高砂市阿弥陀町)で高田八代蔵の5男として出生。1920年(大正9)大阪・灰屋5軒衆の一つ、灰久商店の経営者、市田久治郎の婿養子となり、灰久商店尼崎支店の経営を任された。はじめは生石灰を製造していたが、セメント・耐火レンガなどを取り扱うようになり、戦後市田商店として独立、1948年(昭和23)株式会社組織とし、1960年に三元産業に社名を変更した。また、大阪で三元特殊硝子を設立、魔法瓶を中心に製造したほか、摂津板紙・大同冶金両社の取締役をつとめた。一方、1932年から尼崎市会議員を3期つとめ、市会議長時代の1946年には園田村の合併に尽くした。さらに1948年から1期、尼崎商工会議所副会頭をつとめるなど、政財界で活躍したほか、戦時中は尼崎警防団団長、戦後は消防団の改組委員もつとめた。また、青少年の更生保護育成や、尼崎文化協会会長として文化の振興にも力を尽くした。

執筆者: 芦谷廣安

参考文献

  • 市田政次『傘寿記念の誌』 1976
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