後藤悦治

ごとうえつじ
出典: Web版尼崎地域史事典『apedia』

  1904年(明治37)5月31日 - 1980年(昭和55)9月28日

  有馬郡中野村(現三田市)に生まれる。1921年(大正10)尼崎実業補修学校卒業、家業の米穀商を継いだのち直木三十五を師事して創作活動に入る。のち硝子工場を設立、経営のかたわら尼崎市会議員(19321939年)・兵庫県会議員(19391947年)を務めた。戦後は1946年(昭和21)3月に民主主義新党期成同盟を結成するなど尼崎の保守派の再編に努め、1947年の第23回総選挙では兵庫2区から立候補し当選、1期を務めたが2期目の1949年には落選した。民主自由党の吉田吉太郎に対して民主党系の民主政治会の中心であった。硝子工場のほか建設業なども経営、全国釦〔ぼたん〕工業組合理事長でもあった。1966年10月にはトヨタパプリカ阪神(株)(トヨタ車販売会社、のちにネッツトヨタ神戸と社名変更)を創業し、代表取締役に就任した。

執筆者: 地域研究史料館

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