数珠丸恒次

じゅずまるつねつぐ
出典: Web版尼崎地域史事典『apedia』

  本興寺所蔵の鎌倉時代の太刀。重要文化財。作者は備中(広島県)青江〔あおえ〕派の恒次。1719年(享保4)、徳川吉宗の命をうけて本阿弥光忠が調査した当時の名刀168口の中に含まれる名物である。享保年間には身延山久遠寺にあり、伝えによると日蓮上人が身延山を開いた節、護身用として信者から贈られ、これを杖として登山したという。数珠丸というのは日蓮がこれに数珠をかけられたという故事によるもので、古くから天下五剣の一つとして名高い。備中青江には鎌倉初期から刀工集団がおり、室町中期までこの流派が続くが、鎌倉時代の作品を古青江と称し最も名工が多い。恒次もその一人で、この太刀の腰もとで急に反る姿や鉄の鍛え方などに流派の特色が良くあらわれている。

執筆者: 森口隆次

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