時友遺跡

ときともいせき
出典: Web版尼崎地域史事典『apedia』

  市域の北西部、旧時友宮ノ北・旧友行若宮(現武庫之荘8丁目)にあり、伊丹段丘と呼ばれる洪積台地の南西端部、標高11mのところに位置している。1970年(昭和45)山陽新幹線の建設にともなう事前調査で確認された。遺構としては、掘立柱建物2棟、土坑2基、溝状遺構2基が検出された。建物の規模は、3間×1間と2間×1間で住居としてはやや不適当な規模で、納屋あるいは倉庫と考えられる。土坑は楕円形をなし東西に一直線に並ぶ。遺物は瓦器碗、土師器〔はじき〕皿・碗、土釜、土鍋、須恵器〔すえき〕碗などが出土している。瓦器の編年によってほぼ12世紀末から13世紀に比定される。

  遺跡のある時友地域の集落は、聖武天皇の勅願により、僧行基が猪名野笹原を開墾する際に形成されたと伝えるところであり、平安時代には、周辺に富松荘野間荘などがある。当遺跡も荘園関係の遺跡の一部と考えられる。

執筆者: 橋爪康至

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