服部小山

はっとりしょうざん
出典: Web版尼崎地域史事典『apedia』

  1768年(明和5) - 1832年(天保3)

  名は元雅、字は量卿、小右衛門と称した。萩生徂徠の高弟服部南郭の子孫で、江戸赤羽森元町に住み、詩人として知られた。尼崎藩主松平忠告に召し抱えられ、江戸藩邸内の学校止善舎で藩士の教育にあたった。小山の後その子元彰も同じく尼崎藩に仕官し、儒官として、また幼君松平忠興の補佐役として藩政に重きをなした。1857年(安政4)当時洋式砲術を教え全国にその名の高かった江川英龍の塾で兵書を講じていた大鳥圭介を藩主に推挙し、5人扶持で尼崎藩に召し抱えさせたのは、服部元彰であった。

執筆者: 竹下喜久男

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