上水道

じょうすいどう
水道局より転送)
出典: Web版尼崎地域史事典『apedia』

  上水道は、神崎水源地(現神崎浄水場)を取水地として、1918年(大正7)10月に創設された。全国的には35番目、県下では神戸市に次ぐもので、長年飲料水の不良と伝染病に悩まされた尼崎の市民にとっては待望の上水道の完成であった。この創設水道も工業用水の急増によって、翌1919年には計画水量に倍する給水量を記録し、水需給状況は極度にひっ迫した。さらに水源である神崎川の汚染も急激に進行したため、神崎川と藻川の合流点からの取水の変更と施設の拡張が焦眉の急となった。市は将来にわたる根本的対策として、1924年に淀川を水源とする大規模な上水道拡張事業計画を発表した。この計画は上水の供給のみでなく、神崎川に沿って立地していたキリンビール神崎工場富士製紙(現新王子製紙神崎工場)・大阪合同紡績(のち東洋紡績神崎工場)・大日本セルロイド神崎工場(現ダイセル化学工業)の4会社に工費の一部を負担させ、工業用水として原水を供給するという全国的にも画期的な事業であった、淀川の柴島取水場からの取水工事は1928年(昭和3)に完成、この事業は尼崎の淀川水利の端緒を開くとともに、上水道の基礎を築くものとなった。市勢の伸長とともに給水需要は急増し、施設の拡張につぐ拡張の時代が経過したが、水源を市単位で開発することは困難であったので1936年に設立した阪神上水道市町村組合(現阪神水道企業団)に加入し、水源を広域水道に依存した。阪神水道企業団の施設拡張と相まって、1977年に日量34万m3給水能力を有する上水道が整備された。うち自己水源は8万6,000m3、阪神水道企業団からの受水は25万4,000m3である。

執筆者: 西山清弘

参考文献

  • 『尼崎市水道70年史』 1988

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