永小作権

えいこさくけん
出典: Web版尼崎地域史事典『apedia』

  旧尼崎町南部の新城屋新田初島新田や旧大庄村南部の道意新田など江戸時代に開発された新田地帯では、開発にあたって資金を提供した商人などの開発請負人(地頭)と開発のために入植し開発後も耕地改良のために労費をかけた入作農民との間に、通常の小作関係に比して耕作農民の権利の強い永小作権が成立した。すなわち地親のもつ地床権底土権)にたいして、農民は両新田の場合「上砂」または「畑砂」と称する上土権を有し、後者はその所有権が耕作権を自由に売買・質入れ・貸付けをするばかりでなく、地目変更など土地の使用収益処分ができた。明治中期においては上土権のほうが底土権より売買価格が高く、それだけ権利が重視された。しかし地租改正のさい底土権者が土地所有権者と認定され、上土権者には永小作権がみとめられたとはいえ小作人となった。1896年(明治29)の民法改正によって、永小作権の存続期間が50年間に限定されたので、上土権は弱くなりその売買価格も暴落した。この畑砂慣行のほかにも、猪名寺村にはその起源はあきらかでないが「二損高」という永小作慣行が存在した。

執筆者: 山崎隆三

参考文献

  • 小野武夫『永小作権』 1924 巌松堂
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