淡輪の石造文化圏

たんのわのせきぞうぶんかけん
出典: Web版尼崎地域史事典『apedia』

  尼崎市域に分布する中世石造美術の石材は、俗に御影石〔みかげいし〕と呼ばれる花崗岩〔かこうがん〕と和泉砂岩の2種に限られるが、花崗岩製が鎌倉時代中期に始まるのと異なり、和泉砂岩は室町時代以後に限られるものの遺品数は花崗岩製をしのぐ。和泉と紀伊の国境を占めている葛城山脈の基盤である砂岩のうち、泉南の淡輪(大阪府泉南郡岬町)付近の産石を一般に和泉砂岩と呼んでいる。これを素材とする作品は地元の和泉や紀伊をはじめ、東は志摩・三河に達しているだけでなく、近江の琵琶湖周辺の平野部にも多く、北は摂津の平野部を限る。西は、播磨で2例しか知られていないのもかかわらず、備前・備中の平野部に及んでいる。和泉砂岩製の石造美術は、地元では鎌倉時代に始まるが、西摂とくに尼崎市域では室町時代初頭のものが最古である。室町後期に入ると遺品はおびただしくなるが、ほとんどが一石五輪塔である。一石五輪塔の多くは総高が45cm(一尺五寸塔)と60cm(二尺塔)が普遍的で、それを越えるものはほとんどない。このことからも市域の一石五輪塔は、産石地において規格品として製作されたものが船便によって尼崎の石屋へ運ばれ、周辺の人々が買い求めて建てたものと考えられる。余裕のある人は銘文を彫らせたが、多くの人々は費用を軽くするために銘文を墨書したと考えられる。無銘の遺品が多いのはこのような事情からであろう。

  従前、和泉砂岩の石造文化圏と名付けていたが、関西国際空港埋立ての土砂採取のために石切場が壊滅することになったので、淡輪の石造文化圏と改称した。

執筆者: 田岡香逸

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