清荒神

きよしこうじん
出典: Web版尼崎地域史事典『apedia』

  宝塚市米谷〔まいたに〕にある。真言三宝宗大本山。山号は蓬莱〔ほうらい〕山。本尊は大日如来(重要文化財)。境内にまつる三宝荒神は火除祈願の信仰をあつめ、古くから清荒神の名で親しまれている。896年(寛平8)宇多天皇の発願による創建とされ、当初は現寺地の東方の切畑字長尾山、通称旧清〔もときよし〕の地に伽藍があり、近年の発掘調査で遺構が確認されている。当寺の住僧慈心坊尊恵が、いったん死去して閻魔王宮に行った後蘇生したという「冥土蘇生記」は、説話の原態は鎌倉前期に成立しており、「平家物語」には当寺所蔵の写本とほぼ同文で引用されている。当寺が、平安時代後期いらいひろく信仰をあつめていたことを如実に示すものである。中世の各種記録に当寺が登場することも多く、また清荒神には皇室の信仰もあつかった。しかし戦国時代の兵火で罹災し、小院の竜蔵院をのこすのみとなり、現在地に本坊を移した。寺宝には他に鎌倉時代の千手観音菩薩画像、南北朝時代の良全筆釈迦三尊像(ともに重要文化財)などがあり、また境内の鉄斎美術館には千点におよぶ富岡鉄斎の絵画や資料を収蔵している。

執筆者: 熱田公

参考文献

  • 『宝塚市史』第1巻 1975
  • 熱田公「『冥土蘇生記』再考」『市史研究紀要たからづか』第5号 1988
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