源義経

みなもとのよしつね
出典: Web版尼崎地域史事典『apedia』

  1159年(平治元) - 1189年(文治5)

豊原国周画摂州大物浦難風之図
豊原国周画摂州大物浦難風之図

  源頼朝の弟。幼名は牛若丸・九郎、号は源九郎。平治の乱で父義朝が敗死したあと、奥州に下って藤原秀衡の庇護のもとに成長した。1180年(治承4)頼朝が挙兵すると、これに応じて各地を転戦し、木曽義仲を討ち、平氏を一の谷・屋島・壇の浦で破って滅亡させ、抜群の戦功をあげた。しかし、その間、頼朝の命にしたがわない行動などがあって、次第に対立し、ついに1185年(文治元)10月、叔父行家とともに頼朝に反して挙兵したが利なく、11月3日、西国での再起を期し京都をでて摂津の河尻にむかった。ところが、その日のうちに河尻辺で多田源氏の太田頼基らの攻撃にあい、さらに多田行綱・豊島冠者らの追撃をうけた。5日夜、大物辺で乗船して泊っていたところ、夜半に大風が吹き、乗船が沈没したため義経・行家らは、小舟一般に乗って和泉浦をさして逃亡したという。その後、逃避行の末に奥州にいたり、再び秀衡をたよったが、秀衡の没後、その子泰衡に襲われ、1189年(文治5)、衣川で自害したと伝えられる。

執筆者: 田中文英

参考文献

  • 渡辺保『源義経』 1966 吉川弘文館
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