今日は何の日(8月4日)
出典: Web版尼崎地域史事典『apedia』
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- 大井組の猪名川筋瀬堀を三平井組が埋めたことから両組の水論が起こった(三平井組・大井組水論)。(1670年)
- 尼崎藩は、農民が年貢皆済以前に米を売ることの禁止を触れた。(1784年)
- 尼崎町でコレラ患者が発生し、これ以後大流行した。(1890年)
- 日本労働組合同盟阪神連合会と労働組合全国同盟尼崎連合会が合流して全国労働組合同盟(全労)阪神地方連合会となり、結成大会を尼崎第二尋常小学校で開催、全国大衆党を支持した。(1930年)
- 尼崎市会に煤煙防止河川浄化委員会が設置された。(1936年)
- 尼崎市会の主催による第2次排英尼崎市民大会が玉江橋東詰の市庁舎建設予定地で開かれ、約1万5,000人が参加した。(1939年)
- 立花村長に市場梅蔵が就任した。(1941年)
- 上坂部西公園内の「緑の相談所」の新施設がオープンした。(1981年)
- 川辺・武庫・豊島・能勢郡などの官田47町余が主計寮の要劇料および番上田料となった。(886年)