猪名庄遺跡

いなのしょういせき
出典: Web版尼崎地域史事典『apedia』

  遺跡は市域の東寄りJR尼崎駅北側、潮江1丁目を中心に、東西約3km、南北約1.5kmの範囲と推定されている。1984年(昭和59)から当該地域の再開発事業にあわせて調査が進められている。この遺跡は、756年(天平勝宝8)聖武上皇の崩御にともない孝謙天皇が供養として東大寺に寄進した荘園猪名荘の跡である。

  遺跡地は、比較的早くから開発された地域であり、遺構の多くは破壊されているため全貌を知ることは難しい。現在までの調査で、土坑、落ち込み状遺構、小ピットなどが確認されている。いずれも奈良時代後期から平安時代前期の遺構と確認されている。遺物は、須恵器〔すえき〕、土師器〔はじき〕、黒色土器、灰釉陶器片などが出土している。土器のほかに鞴〔ふいご〕の羽口、鉄滓〔てつのかす〕が検出されている。「猪名庄絵図」や古文書で伝えられていた猪名荘の実体が今後の発掘調査で明らかにされていくことと期待される。

執筆者: 橋爪康至

   平成6年度に実施したJR尼崎駅北第二地区市街地再開発事業にともなう事前試掘調査により包含層等が確認された。全面発掘調査(第31次調査)は平成8・9年度に尼崎市教育委員会を主体とし、阪神・淡路大震災にともなう復興支援事業であったことから兵庫県教育委員会の支援を受け実施された。この調査では奈良時代後期の大型掘建柱建物3棟や墨書土器を出土した井戸等、成立から間もない時期の猪名荘の中心施設である「荘所」の一部と見られる遺構や遺物が発見されている。この場所は平安時代中期から鎌倉時代前期にかけては屋敷地として利用されていたことも明らかになった。また、鎌倉時代前期・平安時代中期~後期の遺構も検出しており、さらに下層からは縄文時代古墳時代にかけての土器、古墳時代の洪水層も確認されている。

執筆者: apedia編集部

参考文献

  • 尼崎市教育委員会『猪名庄遺跡-第31次調査(JR尼崎駅北市街地再開発事業に伴う)発掘調査概要-』 1999

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