瓦林氏

かわらばやしし
出典: Web版尼崎地域史事典『apedia』

  戦国時代西摂の国衆一族。1520年(永正17)に自刃した河原林正頼越水城に拠ったが、1521年ごろ瓦林城には正頼の一族河原林幸綱が在ったらしい。正頼の一流は河原林と署名している。正頼の没落後、越水城は三好氏らに占拠された。1570年(元亀元)四国勢の篠原長房が河原林三河守の守る瓦林城を攻略している。三河守は織田信長軍に属していたがこのとき敗死し、瓦林城も廃絶した。一族の瓦林秀重は松永久秀の家老、荒木村重の家老であった越後入道は浪人して堺に住んだが、ここで河原林氏は終わった。ちなみに、1184年(寿永3)5月に源頼朝から摂津小松荘(現西宮市)下司職に補任された源光清が河原林氏の祖というが疑問。1337年(建武4)足利尊氏から和泉国塩穴庄中条(現堺市)地頭職を与えられた河原林入道元定が知られ、瓦林城を築いて河原林氏が活躍しているが、室町時代にはいったん衰退した。正頼ががぜん出世したのである。

執筆者: 永島福太郎

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