生津小作争議

なまづこさくそうぎ
出典: Web版尼崎地域史事典『apedia』

  第1回の争議期間は1931年(昭和6)9月~1932年11月。関係者は地主19人、小作人11人、関係面積は10.4ha強であった。生津の小作人は1931年の旱害と虫害による小作料6割減を地主に要求したが、地主は法廷の場にもちこんだ。小作人も全農全国会議兵庫県連合会に応援を求めた結果、1932年11月に小作料5割減をもって和解した。第2回の争議期間は1933年12月~1934年5月。関係者は地主9人、小作人7人、関係面積は3ha強であった。1933年12月において、小作人は先に和解した未納小作料が払えず、地主は和解条項によって土地の取上げと差押えを強行した。小作人は土地を取られないよう必死になって戦った結果、未納小作料は僅少の支払いですみ、土地は継続して耕作できるなど、小作人の勝利をもって終った。

執筆者: 羽原正一

参考文献

  • 羽原正一「1930年代の尼崎の農民運動」『地域史研究』第3巻第1号 1973
  • 『戦前尼崎の労農運動』 1979 尼崎労農旧友会
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