神崎の渡し

かんざきのわたし
出典: Web版尼崎地域史事典『apedia』
神崎の渡し(『摂津名所図会』)
神崎の渡し(『摂津名所図会』)

  中国街道神崎川を越える船渡し場。担当は神崎村。年中船が出ていた。通行量が多いときは、助船を出す村として西淀川の大和田ほかが指定されていた。1732年(享保17)の大ききん以降は、衰退した宿駅の影響を受け、渡し場・村ともに活気を失った。それでも「昼夜行人絶えず」と『摂津名所図会』にある。1808年(文化5)神崎を通過した伊能忠敬一行の「測量日記」(『尼崎市史』第5巻)や、1853年(嘉永6)長崎に向かう川路聖謨に同行して神崎を通った古賀某の「西使日記」などには、さびれた村の様子が記されている。幕末になって通行量は増大するが、公用(無料)川越えが多く、村には過重な負担となった。

執筆者: 山下幸子

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