細川勝元

ほそかわかつもと
出典: Web版尼崎地域史事典『apedia』

  1430年(永享2) - 1473年(文明5)5月11日

  室町時代の武将。1442年(嘉吉2)わずか12歳で父持之の跡を嗣ぎ摂津・丹波・讃岐・土佐の各守護に補任され、1445年(文安2)3月には弱冠15歳で幕府の管領となった。この時期、他の管領家畠山・斯波〔しば〕の両家が家督紛争で弱体化したのを尻目によく一族結束して応仁の乱を乗り切ったのは、若年の勝元を補佐・後見した叔父持賢(摂津国欠郡守護)の存在による所が多い。しかし勝元も怯懦〔きょうだ〕で優柔な父持之と異なり果断で政治手腕と謀略にすぐれ、1460年(寛正元)畠山義就を幕閣から追放することに成功した。応仁の乱では東軍の総帥に推されて畠山政長を助けたが、決着を見ぬうち病死した。

執筆者: 今谷明

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