緑化

りょくか
出典: Web版尼崎地域史事典『apedia』

  第1次大戦以来工業都市として躍進するにしたがい公害に弱い松や針葉樹が市内の南部地域で枯れ、キンモクセイが咲かなくなり都市砂漠と化した。戦後、公害に対する怒りと安らぎの場として「みどり」を求める市民の声が次第に増し、1966年(昭和41)に制定された尼崎市民憲章では「環境をととのえ、花と緑をそだて、きれいな町を」つくっていくことがうたわれた。1968年には市政の重点施策として、「みどりを育てる尼崎」が決定された。50万市民1人1本植樹運動が展開され、花いっぱい運動や公園樹・街路樹の整備、鎮守の森等の保護対策ならびに学校緑化など公共施設の緑化が進められた。1973年環境を守る条例が制定され、工場緑化協定(1万m2以上の工場敷地面積の10%緑化)が110社と締結され1982年に達成された(1993年末現在72.2ha)。市民が一致協力して緑化に取り組んだ結果、1993年度末における植裁本数は約219万本に及び、市内も順次明るさと緑をとりもどしつつある。

執筆者: 榎本利明

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