東亜バルブ

とうあバルブ
虫印バルブ製造より転送)
出典: Web版尼崎地域史事典『apedia』

  創業者太田常太郎が、大阪市西区にバルブ類を商う太田工業商会を開いたのは、1922年(大正11)で、太田29歳。「生来の機械好き」といわれる彼はその後、ドイツ製スチームトラップの改良に取り組み、1932年(昭和7)特許を取得した。同年末合資会社虫印バルブ製作所に改組、福島区大開町に移転してバルブ類の生産をはじめる。従業員は18人で、商標には昆虫好きの彼らしく、くわがた虫を図案化して用いた。1934年には淀川区佃(敷地約660m2)に佃工場が完成、従業員50人で鋳物から組立までの作業を行なった。1940年4月、資本金100万円で虫印バルブ製造(株)を設立。株式には1万1,000株(70%)の太田に次いで、1,600株の三菱商事が名を連ねた。同年9月、尼崎水堂字鳥林(現西立花町5丁目)に、木型・機械加工工場のほか溶解炉4基をもつ合金工場も備えた立花工場が新設された。主な製品は、海軍艦艇用の基本弁にも採用されていた、特許をもつ鋼板製バルブであった。1942年社名を東亜バルブ(株)と改称。同年海軍管理工場、翌1943年には軍需会社に指定された。1945年6月15日の空襲によって佃工場が全焼し操業不能となったため、残務整理要員を残して全従業員が退職、会社は全面休止した。

  1949年には工場機能を、1951年には本社を立花工場に集約・移転して再建を始めた。1961年大阪証券取引所2部、1971年東証2部に上場。尼崎に本社を置く数少ない上場会社の一つであり、高温高圧バルブ生産では日本を代表するメーカーの一つである。

執筆者: 名和靖恭

  1974年9月、同社は現地修理部門を独立させ納入バルブの点検修理工事を移管する東亜エンジニアリング(株)を設立し、2000年3月には株式移転により親会社として(株)トウアバルブグループ本社を設立、2008年10月には子会社の東亜バルブ(株)が東亜エンジニアリング(株)を吸収合併して東亜バルブエンジニアリング(株)となり、2010年4月に親会社の(株)トウアバルブグループ本社が東亜バルブエンジニアリング(株)を吸収合併して東亜バルブエンジニアリング(株)と改称した。

執筆者: apedia編集部

参考文献

  • 『七十年史』 1992 東亜バルブ
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