西明寺

さいみょうじ
出典: Web版尼崎地域史事典『apedia』

  下食満字北台(現食満6丁目)にある浄土宗知恩院末の寺院。金剛山無量院西明寺といい、元和年中(1615~1624)の建立で、久々知村農民出身の円蓮社知誉上人を開山とする。上人は寺町如来院の性誉について剃髪し、如来院より移住したとされている(増上寺史料集5)。当寺には、如来院と同様に神崎五人遊女に関する旧記および円光大師(法然)船中御自作の木像と伝えられるものがある。この像は、寄木造り玉眼入り、高さ39cmの小像であるが、胎内から鎌倉時代の年記である「乾元元年(1302)十二月」の墨書が発見されている。また、大坂立売堀の河内屋嘉兵衛(久々知氏)が勧進元をつとめる「大坂万人講」が1742年(寛保2)に建てた当寺の標石がある。

執筆者: 梅溪昇

参考文献

  • 梅溪昇「法然遺跡寺院としての如来院の活動について-付、西明寺について-」『浄土宗典籍研究 研究篇』 1988 同朋舎出版

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