託児所

たくじしょ
出典: Web版尼崎地域史事典『apedia』

  尼崎市では、尼崎婦人会の奉仕事業として、1921年(大正10)9月に旧城郭内の尼崎倶楽部に開設された託児所や、同じ時期にすでに設置されていた大阪合同紡績神崎工場の託児所など、大正年間から民間託児所が開設されていた。1931年(昭和6)尼崎婦人会の託児所は旧城郭内南浜の旧町役場跡に新築移転して尼崎東愛育園と改称、同年5月には市営住宅を転用して西愛育園が開設された。東・西愛育園は、のちに尼崎婦人会が大日本婦人会に解消することにともない1942年10月に方面委員助成会に引き継がれた。ほかに私立託児所として、ちゝのき園(1937年開設、中在家町)、梅ノ花保育園(1939年開設、難波〔なにわ〕本町)、生後1か月以上の乳児を保育する尼崎育児園(1939年開設、杭瀬)などがあった。公立託児所としては、大庄村の経営する東今北託児所と、田植・収穫期のみ守部公会堂に開設される守部農繁託児所が、1942年の尼崎市と大庄・立花・武庫村の合併により市に移管された。これらはいずれも同和対策事業としての性格を持っていた。1943年に守部託児所が常設化、1944年には戦時生産増強のため女子労働力を動員することを目的として、前記2か所の公立託児所に新設5か所を加えて計7か所の戦時保育所が設置された。これらの施設は、1947年に制定された児童福祉法にもとづく保育所として戦後も継続、さらに拡充・整備されていった。

執筆者: 地域研究史料館

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