記念公園

きねんこうえん
出典: Web版尼崎地域史事典『apedia』

  1940年(昭和15)の紀元2,600年を記念して、西長洲(現西長洲町1丁目)に建設された公園。市民運動公園・市民グラウンドとも呼ばれる。敷地3万3,000坪は省線以南土地区画整理事業の対象地域に含まれていた。うち1万坪が買収・整備され、1940年11月10日に紀元2,600年記念式典が行なわれて供用開始、その後も残りの用地の整備が継続された。

  戦後、米軍が西隣の住友金属工業プロペラ製造所に駐留するにともない、記念公園も資材集積場として提供するようを申し入れた。市民の反対運動の中、交渉の結果1955年1月に一部が貸与され、1956年12月には返還された。現在は、総合体育館・陸上競技場・野球場などの設備を備えたスポーツセンターとなっている。

執筆者: 地域研究史料館

参考文献

  • 史料館「米軍の尼崎市民運動場接収問題」『地域史研究』第14巻第1・2合併号 1984
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