辰巳橋遺跡

たつみばしいせき
出典: Web版尼崎地域史事典『apedia』

  東本町1丁目(近世の辰巳町)、国道43号辰巳橋北詰一帯の地域にある。包含層は4層にわかれ、表土下8mの最下層が奈良時代末期、その上層が平安時代、鎌倉時代、室町時代から江戸時代の各層と推定された。奈良時代末期、平安時代の層は、それぞれの時代の土器片を包含していたが、地表下5mの鎌倉時代の層からもっとも多くの遺物が出土した。瓦器の皿・椀・鉢、磁器各種、中国舶載の青磁・白磁、黄瀬戸、土師〔はじ〕質のかまど形土器、羽釜、土鍋、石鍋、鼎〔かなえ〕、杯、皿、水甕〔みずがめ〕、木器片、土錘〔つちおもり〕各種、軽石、香炉、漆器その他がみられ、漁具の土錘には遠海用のものもみられた。鎌倉時代の上層には室町時代の小貝塚を形成しており、最上層からは江戸時代の方形の木製井戸枠が発見された。北宋や明・清の中国銭、朝鮮銭のほか、鎌倉時代の層から人骨が3体以上出土した。当遺跡地は、鎌倉時代を中心に古代から近世にかけて居住地であり、港町であった。舶載磁器や平安時代後期・鎌倉時代の軒丸瓦の出土は、中世の問丸などかなり富裕な人々の町であった痕跡とみられる。

執筆者: 村川行弘

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