別所町

べっしょちょう
魚崎町より転送)
出典: Web版尼崎地域史事典『apedia』

  室町時代に尼崎町大覚寺の南東の浜に面して、市庭から分化・発展した魚崎町が魚市場と魚商人の町として成立した。魚崎町の史料上の初見は1496年(明応5)「白郷正信屋敷地売券」(大覚寺文書/『尼崎市史』第4巻)。1461年(寛正2)「尼崎問丸別所友久請文案」(東大寺文書/『尼崎市史』第4巻)には「尼崎別所三郎衛門丞友久」とあるので、このころから別所とも称したと思われ、これが近世の町名となった。大覚寺の別所(寺院に付属する周辺地)であったことが、地名の由来であろう。

  近世には、西側の城に接する部分が侍屋敷となったほか大部分は町人が居住する町場で、南の浜には船大工が軒をならべた。魚棚という町筋もあったが海産物取引の中心は中在家町に移った。また、同町にあった法園寺が築城時に寺町へ移された。「尼崎領尼崎町本地子」(金蓮寺〔こんれんじ〕旧蔵文書写)には戸田氏の時代の石高70.234石、地子米35.117石、「築地町式目録」(『尼崎市史』第5巻)には1769年(明和6)の惣町間口639.5間、「城内・城下間数・家数書上げ」(年不詳、同前)には家数158軒とある。寺院は浄土真宗本願寺派正恩寺。ほかに同宗同派常性寺があったが1951年(昭和26)難波〔なにわ〕七条通(現西難波町)に移転した。

  1930年(昭和5)の町名改正と1958年の土地区画整理により東本町の一部となった。市庭町との境の本町筋が本町通商店街として栄えたが、1945年(昭和20)家屋疎開の対象となり消滅した。

執筆者: 地域研究史料館

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