浄光寺

じょうこうじ
出典: Web版尼崎地域史事典『apedia』

  常光寺字奥ノ坊(現常光寺3丁目)にある真言宗善通寺派の寺院(元随心院末)。山号は補陀洛山、院号は慈眼院。同寺所蔵「縁起」には天長年間(824~834)空海開基とあり、「明治12年寺院明細帳」(『地域史研究』第7巻第1号)は開基年を829年(天長6)としている。同寺は1362年(康安2)摂津守護代箕浦次郎左衛門俊定が南朝方の楠木正儀らと対陣したさい陣を構えた要害とされており(太平記/『尼崎市史』第4巻)、同寺所蔵「紙本着色浄光寺縁起図」(1986年(昭和61)3月13日市文化財指定)によれば同舎がこの合戦で焼失した。また「日本国分明集」は、荒木村重が信長に背いた1579年(天正7)にも同寺は戦火により焼失して衰退、近世には別に寺院を構えて慈眼院と称し本尊金1寸8分観音菩薩も移転、その後も本尊は兵火や災害により転々とするも不思議と同寺に戻ると伝えている。また『尼崎志』は、浄光寺が秀吉と対立した根来寺や明智光秀に近かったことから秀吉治下に衰退したのではないかとしている(同書常楽寺の項)。

執筆者: 地域研究史料館

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