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◇●◇●◇「バーチャル歴旅」〜史料館架蔵史料の紹介〜vol.16-2(その2)◇●◇●◇

by ブログ管理者

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(つづき)
では、丑年の12月にに亡くなった藩主は・・・と探してみた
ところ、松平忠告(ただつぐ)がいました(文化2年(1805)
12月10日没)。尼崎藩郷廻役人の設置時期や、以下の月
代の話から考えると、この触は、尼崎藩主・忠告の死に
際してのものとみてよいのではないかと思われます。

そして、ようやく月代の話です(笑)。武士階級では、
領主や近親者の喪に服するあいだは月代を剃らない風習
がありました。尼崎藩領瓦林村村の大庄屋、岡本家の史
料(「岡本家大庄屋日記」/尼崎市立地域研究史料館所
蔵マイクロフィルム)などによれば、尼崎藩でも藩主の
死に際して家中に月代を剃らないこと(「髪月代差留
(さしとめ)」)を命じていたようです。そして尼崎藩
の場合は、さらに大庄屋・庄屋に対しても、同じく「髪
月代差留」を命じています(「岡本家大庄屋日記」には、
文政12年〔1829〕の、尼崎藩主・松平忠誨の死に際して
「髪月代差留」を命ずる記述があります)。
(つづく)


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