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尼崎藩主を勤めた青山氏(幸成系)と、宗家である青山氏(忠俊系、篠山藩主家)の関係(その1)

by ブログ管理者

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「江戸切絵図/青山渋谷絵図」嘉永2年・1849〜文久2年・1862刊、国立国会図書館デジタルコレクションより転載
美濃国大垣藩に移封された初代尼崎藩主・戸田氏鉄(うじかね)
に替わり、青山幸成(よしなり)が尼崎藩5万石に入部したのは
寛永12年(1635)のこと。この後、幸利(よしとし)、幸督(よしまさ)、
幸秀(よしひで)と4代にわたり尼崎藩主を勤め、宝永8年(1711)
に信濃国飯山藩に転封し、後に丹後国宮津藩、さらに美濃国郡上
藩に転封しました。
幸成は、家康に仕えた青山忠成の第3子(4男とする記録もある)
でした。忠成直系の宗家は忠成嫡男の忠俊の代に不遇な時期も
ありましたが、やがて大名として復帰します。この宗家に対して、
尼崎藩青山氏は2代続けて養子を出し、その養子が宗家の家督
を継いでいます。
(つづく)

画像は「江戸切絵図/青山渋谷絵図」嘉永2年・1849〜文久2年・
1862刊。国立国会図書館デジタルコレクションより転載。
画面右手の厚木街道(現青山通り)の北側に青山下野守(宗家)、
南側に大膳亮(幸成系、元尼崎藩主家、この絵図の時代は美濃国
郡上(ぐじょう)藩主家)の屋敷地が広く描かれている。


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