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尼崎藩主を勤めた青山氏(幸成系)と、宗家である青山氏(忠俊系、篠山藩主家)の関係(その2)

by ブログ管理者

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「江戸切絵図/青山渋谷絵図」嘉永2年・1849〜文久2年・1862刊、国立国会図書館デジタルコレクションより転載
まず、尼崎藩主青山幸督(よしまさ)の次男忠朝(ただとも)
が、享保15年(1730)に宗家青山俊春(としはる、丹波国亀
山藩主)の養子となり襲封、寛延元年(1748)には転封し丹
波国篠山藩主となりました。次いで幸督の子である尼崎藩
主幸秀(よしひで)の7男で、宮津藩時代に生まれた忠高(ただ
たか)が、宝暦4年(1754)に忠朝の養子となり、宝暦10年
の忠朝死去にともない家督を継ぎ篠山藩主となっています。
このように、枝分かれした後も、青山氏(幸成系)と青山宗家
の関係は密接でした。ちなみに現東京都港区の「青山」は、
同地に青山両家の広大な下屋敷があったことに由来すると伝
えられます。

青山両家の関係について、Web版尼崎地域史事典"apedia"の
項目「青山氏(幸成系)」「青山幸督」「青山幸秀」に追記しました。
http://www.archives.city.amagasaki.hyogo.jp/apedia/

画像は「江戸切絵図/青山渋谷絵図」嘉永2年・1849〜文久2年・
1862刊(国立国会図書館デジタルコレクション)
右手の厚木街道(現青山通り)の北側に青山下野守(宗家)、南側
に大膳亮(幸成系、元尼崎藩主家、この絵図の時代は美濃国郡上
藩主家)の屋敷地が広く描かれている。


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