寄託史料のご紹介-「御城内町人出入札」-(その1)(2)
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(1)桜井松平氏支配では、城下町尼崎の支配は郡代が担当していた。
郡代は、「民政一般の職務にあたり、代官を統括指揮す
る役職」(岸添和義氏後掲論文)です。江戸時代は、一
般的には「村方」・「町方」の支配は明確に分かれてお
り、代官とそれを統括する郡代は前者の「村方」を担当
することが多いのですが、尼崎藩については、桜井松平
氏支配の時代は、城下町尼崎(「町方」)の支配も郡代
の管轄でした。
享保20年当時の藩主は松平忠喬(ただたか)。忠喬は、
宝永8年(1711)の青山氏の転封を受けて、尼崎の地を入封
しました。
忠喬の入封当初は、一宮勝左衛門という藩士が、尼崎町
奉行を勤めていたようですが(「尼崎藩松平氏家中分限
大概」『尼崎市史』第5巻掲載)、一宮が兵庫津奉行に役
替えとなったのち、尼崎町奉行という役職は分限帳など
の記録からは確認できなくなりました。
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