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転封と藩士−「海」から「山」への移動−(その2)

by ブログ管理者

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尼崎藩士たちの中には、この船の航行に関わる役職
(青山氏時代は「御船手」)も置かれていました。
しかし、移封先の飯山は山中、海がありません。移
封に際し、青山家では「船手」の人々を一斉に召し
放ちました。
その後「御船手」であった家臣達がどうしたのかは
よくわかりません。ただ、「御船手」のうち高濱武
左衛門(のち茂兵衛と名乗る)という武士は、尼崎
から飯山城下まで訪れ、「どんなご奉公でもいたし
ます(ので、召し抱えてください)」と願い出まし
た。結果、切米6石で再度召し抱えられています。
青山家は、飯山でも新たに藩士の雇用をしたようで
すが(「飯山抱」)武左衛門と同じ階級の者たちは
切米5石で召し抱えることになっていました。しかし、
尼崎から飯山に改めて再雇用を願った武左衛門の熱
意が認められたのでしょうか、「御内意」により「帰
参」として扱われ、1石多い切米6石とされたようです。
( 坂東均氏所蔵・明治20年6月「御家中面々家禄」
『郡上八幡町史』史料編二/“分限”より検索 )

参照:尼崎藩家臣団データベース“分限(ぶげん)”
http://www.archives.city.amagasaki.hyogo.jp/bugen/login.php


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