「尼崎市史を読む会」村絵図のご紹介〜安永8年(1779)神崎村「村持ち加島新田絵図」〜(その2)
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(つづき)
しかし、享保7年(1722)以降、江戸幕府による新田開発
政策は推し進められ、流作場の開発も一転して認められ
るようになります。
徳川吉宗が享保の改革で新田開発を奨励したことは、よ
く知られていますが、まさにその一環として位置づく政
策転換といえるでしょう。
従来、江戸幕府は水害に対しては、その原因を事前に取
り除く(堤外地の開発禁止など)ことで対策を講じてき
ましたが、以後は、そうした水害となる要因があっても、
水害を防ぎうるだけの、大規模な河川整備を実施できる
体制構築を行うことで、水害を防いでいくという方針に
転換します。
上記は、近年の研究で明らかにされてきたことであり、
市史を読む会でも、絵図の解説とあわせてご紹介しました。
4月は「村絵図」(後編)です。ご関心のある方はぜひお
申し込みください。
http://www.archives.city.amagasaki.hyogo.jp/events/yomu/
参考文献:村田路人「吉宗の政治」
(『岩波講座日本歴史』第12巻・近世3、2014)
※上記は歴史博物館地域研究史料室(あまがさきアーカ
イブズ)で閲覧できます。
(おわり)
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