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「尼崎町は兵庫県ではなく、大阪府管轄に!」/apedia"今日は何の日"より(その1) 

by ブログ管理者

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明治29年(1896)、126年前の今日、川辺郡全域の大阪
府への管轄替え希望意見書が、尼崎町長より同町諮問さ
れ、賛成多数で提出に決まりました。

明治21年(1888)4月市制町村制の公布以降、府県制・
郡制とそれぞれが自治体として定められ、近代地方自治
制度が整備・確立されていきました。しかし、当初より
町村の行財政は苦しい状態が続いていました。大阪府へ
の、川辺郡全域の管轄替え問題はこうした苦しい行財政
が背景にあり、税負担の軽減・行政水準の向上を管轄替
えによって実現しようとしたのではないかと考えられて
います。
明治28年(1895)12月に大阪府会が川辺郡神津村と東谷
村の一部を大阪府へ編入する建議を内務省に提出したこ
と受けて、郡内でも様々な動きが見られるようになりま
した。川辺郡町村長会で、立花村村長今井正太郎ほか3
名が、同郡の大阪府編入の是非にかんする調査を実施、
その調査報告書を受けて尼崎町長は、管轄替え希望意見
書を尼崎町会に諮問、賛成多数を得て提出することが決
まります。
しかしながら、こうした川辺郡の町村の動きは全く取り
上げられることなく、府県制・郡制は実施され、尼崎町
を含む川辺郡全域は兵庫県...


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