近代尼崎のガラス製壜工業/新たに収集した史料より
by ブログ管理者
明治中期以降工業化が進む尼崎には、さまざまな業種の工場が立地していました。そんななか、特色ある分野のひとつが、ガラス製壜工業です。
明治42年(1909)に発足したものの生産が軌道に乗らなかった大物機械製壜や、大正8年(1919)に初島で開業した日本製壜(のちに日本麦酒鉱泉、さらに大日本麦酒の工場となる)といった、いくつかの製壜工場があったことがわかっています。
写真は、そういった工場のひとつ、大日本麦酒尼崎工場のパンフレットで、最近新たに収集したもの。昭和10年(1935)前後に発行されたものと推測されます。この工場は、大正7年に日本硝子工業の尼崎工場として発足し、企業合併や統合にともない大正9年に大日本麦酒、昭和11年には日本硝子の尼崎工場となりました。現在も、日本山村硝子の尼崎プラントとして存続しています。
人々の生活のなかにビールやサイダーといった炭酸飲料が徐々に普及し、ガラス壜の需要が増大する明治後期以降、尼崎においても製壜が試みられ、定着していった様子がうかがわれます
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