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尼崎の地名と古文書(2)〜善法寺/その一〜

by ブログ管理者

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小田地区の大字である「善宝寺(ぜんぽうじ)」。
文献史料上ではじめて「地名」としての「善法寺」が確認
できるのは、文禄3年(1594)「善法寺村検地帳」です。
この文禄3年「善法寺村検地帳」は、当館寄託太田善夫氏
文書のうちの1点です。閲覧請求いただければ、現在の
ところ一番古い「善法寺」を皆様の目でご確認いただくこ
とができます!
さて、検地とは、戦国期以降近世を通じて領主が所領を把
握するために実施した土地調査です。そして、検地の結果
を1村ごとにまとめた土地台帳を検地帳といいます。文禄3
年の検地は豊臣秀吉が実施した、いわゆる「太閤検地」と
呼ばれるものです。
市域では、川辺郡椎堂(しどう)村・富田(とうだ)村は舟越
五郎右衛門、猪名寺(いなでら)村は片桐且元、善法寺村・
万陀羅寺(まんだらじ)村・岡院(ごいん)村は山岡如軒、
上坂部(かみさかべ)村は宮木藤左衛門、潮江(しおえ)
村は矢島藤兵衛らといった豊臣配下の奉行たちによって検
地が行われたことがわかります。


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