尼崎の地名と古文書(3)〜塚口/その一
by ブログ管理者
尼崎の地名と古文書を、紹介しています。
今回は、塚口!江戸時代は尼崎藩領です。伊丹への街道
沿いにあり、町場化していました。
今回は、庄屋を務めていた岸岡家の文書から「奉公人差
し出しにつき請け状」をご紹介します。まずは地名の確認!
…ということで、写真のなかで丸で囲いました(2カ所)。
さて、この奉公人は「武家(ぶけ)奉公人」を指します。
大名や旗本など武家領主や、その家臣の従者である若党
(わかとう)・足軽(あしがる)・中間(ちゅうげん)・小者(こもの)
などの総称です。もともとは戦争の際騎乗する武士の守
衛や荷物運び・雜役に従事する人々でした。泰平の世と
なった後は、城内や江戸藩邸などで下働きする労働力を
指します。中間や小者は、領内の村から徴発され召し抱
えられました。
写真の史料は、尼崎藩の武家奉公人勘三郎の「身元保証
書」兼「雇用契約書」です。
内容については、また明日ご紹介します!
|