◇●◇●◇「バーチャル歴旅」〜史料館架蔵史料の紹介〜vol.4-2(その2)◇●◇●◇
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さらに、絵図では、猪名川をはさんだ対岸、利倉(とくら)村
(現在の豊中市利倉)に隣接する地域にも椎堂村の田畑が
展開していることが見てとれます。
さて、猪名川沿いに田畑や集落に沿って黒く塗られている
線は「堤(つつみ/堤防)」です。この堤防、長さ605間(≒1089m)、
幅11間(≒19.8m/馬踏[うまふみ]と呼ばれる堤防の上部は
約1間半[≒2.7m])、高さ4間(≒7.2m)ありました。この「堤」
は「自普請」とされています。(「椎堂村明細書」・「安政
五年椎堂村村方模様書上げ帳」『尼崎市史』第六巻)「自普
請」は、堤の修復にかかる費用を村方が負担することをいい
ます。(領主が負担する場合は、「御普請」と呼びます)。
この長大な堤は、全て村によって築かれていたことになりま
すから、驚きです。
この絵図は、史料館でご請求いただくと、実物を見ることが
できます。興味を持たれた方はぜひ、ご覧ください♪
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