大日電線の絵はがき/新たに入手した史料より
by ブログ管理者
尼崎市東向島にある三菱電線の工場の歴史は、古く大正期
にまでさかのぼります。横浜電線製造、日本電線製造とた
びたび名称が変わり、昭和6年(1931)に大日電線株式会社
という名前になりました。この絵はがきは昭和6年以降、お
そらく戦時色が深まる以前の時期に発行されたものではない
かと考えられます。大日電線時代の絵はがきとして初めて
収集することができました。
タトウに入った3枚セットのうち、1枚だけ絵柄をご紹介し
ます。いずれ、絵はがきデータベース"あまがさきPCD"に
精細画像を掲載します。すこしお待ちください。
タトウ紙は夜空に張られた五本の電線に月と大日電線の社章
である星が浮かぶデザインです。画像を掲載した絵はがきの
絵柄は、昭和期の工場配置が見てとれる鳥瞰イラストに、製
品を出荷する際に巻きつける木製の"電線ドラム"をあしらっ
たものです。
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